
山川方夫『夏の葬列』、あまんきみこ『ちいちゃんのかげおくり』、ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』などの国語の教科書に掲載されていた有名な鬱展開のトラウマ作品や悲しいお話を振り返ってみましょう。小中学生にとっては中々強烈なバッドエンドを迎える作品が多いです。

山川方夫『夏の葬列』 国語の教科書史上最強の鬱展開のトラウマ作品

山川方夫『夏の葬列』 大東亜戦争の終戦間際に起きた、一つの悲劇を扱った物語。後味が非常に悪いバッドエンド作品。国語の教科書史上最強の鬱展開のトラウマ作品として語り継がれている。
夏の葬列とは、山川方夫の小説である。
大東亜戦争の終戦間際に起きた、一つの悲劇を扱った物語。作者は戦中を生き抜いた人物で、作家として様々な作品を輩出するも34歳(1965年2月20日死没)で夭折した。「夏の葬列」はその作品群の1つで、ミステリー誌の「ヒッチコック・マガジン」1962年8月号に掲載された。大東亜戦争の終戦間際に起きた、一つの悲劇を扱った物語。後味が非常に悪いバッドエンド作品。
古い作品だが、中学校の国語の教科書に教材として採用されており、若い世代にも一定の認知度がある。後味が非常に悪い本作は、国語教科書掲載作の中でも異彩を放っている。
真夏の日、芋畑を渡る葬儀の列を見つけた二人は「おまんじゅうがもらえる」と喜んでその後を追うが、そこに突如として米軍の艦載機の攻撃が襲った。畑の中で必死に息を潜める彼。
「動いちゃいかん!白い服は絶好の目標になるんだ!」
大人の声を振り切って駆け寄ってきたのは緑に映える白いワンピースをひらめかせたヒロコさんだった。
「助けに来たのよ!早く、道の防空壕へ…」
「よせ!向こうへ行け!目立っちゃうじゃないかよ!」
「……向こうへ行け!!」
死の恐怖に駆られた彼はヒロコさんを突き飛ばしてしまう。
そして機銃掃射を浴びたヒロコさんの体が、まるでゴムまりのように跳ねるのを彼は目の前で見たのだ。
主人公が遭遇したのはヒロ子さんのお母さんのお葬式で、どうやら若い頃の写真しか使えるものがなかったとのこと。お母さんは戦争で娘を亡くし、それからずっと悲惨な人生を送っていたのだとか…。「結局、ヒロ子さんを殺してしまったのは自分だったんだ!さらにお母さんまでっ!」と、主人公は罪悪感に見舞われます。
「この人、どうして死んだの?」
川に飛び込んで自殺したのだと子供たち。失恋でもしたの、と問いただす彼を、子供たちは笑う。
「だってこのおばさん、もうおばあちゃんだったんだよ」
「どう見ても若いじゃないか?」
「あれはね、うんと昔の写真しかなかったんだって」
「戦争でね、一人きりの女の子がこの畑で機銃に撃たれて死んじゃってね、それからずっと気が違っちゃってたんだもんさ」
主人公の「彼」は自分の犯した罪から永遠に逃げられないことを悟った。
あまんきみこ『ちいちゃんのかげおくり』
『ちいちゃんのかげおくり』とは、「あまんきみこ」の童話作品である。太平洋戦争の悲惨さを描いた物語。小学校低学年の国語の教科書の多くに掲載されている作品で、女の子がその短い命を閉じていく様子が幻想的で奥深く描写されている。

ちいちゃん一家は空襲に会う。空襲で焼け出されたちいちゃんは一人ぼっち。空腹に絶え、生きながらえようとする姿は、多くの戦争孤児たちの姿そのものでした。
ちいちゃんは、お父さんから『かげおくり』の遊びを教えてもらう。お父さんが出征してからの夏のはじめの日、空襲に遭い、他の家族とはぐれてしまう。翌日、自分の家があった所に戻っても瓦礫の山だったが、「お母さんとお兄ちゃんは必ず戻ってくる」と信じて、近くの防空壕で待つ。
明るい光が当たって目がさめ、「かげおくりのよくできそうな空だなあ」というお父さんの声と「ねえ。今、みんなでやってみましょうよ」というお母さんの声を聞き、家族の声を聞きながらかげおくりをする。空を見上げると4つのかげが浮かび、ちいちゃんの体が透きとおり、空に吸い込まれていく。
ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』

ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』 エーミールの皮肉「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」は強烈なトラウマ。小中学生にとっては中々強烈なバッドエンドを迎えている。
『少年の日の思い出』(しょうねんのひのおもいで 原題:Jugendgedenken)は、ヘルマン・ヘッセが1931年に発表した短編小説。日本では、同年に高橋健二の翻訳が出版された。中学校1年生の国語教科書に掲載されていることで、日本での知名度は高い。
蝶や蛾の標本作りに熱心な主人公・「僕」は、隣に住むエーミールが持つクジャクヤママユの標本を盗み出し、破損させてしまう。取り返しのつかないことをした「僕」はエーミールに謝罪するが……
エーミールは「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」と軽蔑したように言うだけだった。主人公は帰宅すると、自分のコレクションの蝶を一つ一つ取り出して粉々に押しつぶしてしまった。この作品は小中学生にとっては中々強烈なバッドエンドを迎えている。
そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。
宮沢賢治の短編童話『オツベルと象』
「オツベルと象」(オツベルとぞう)は、宮沢賢治の短編童話である。詩人尾形亀之助主催の雑誌『月曜』創刊号(1926年1月3日発行)に掲載された。賢治の数少ない生前発表童話の一つ。教科書にも広く収録されているほか、公文式の教材にもなっている。
オツベルは、6台の稲扱器械と16人の百姓どもを使う、やり手の地主だ。ある日彼の所に、気のいい象が現れた。オツベルにこき使われた象は心も体もくたびれて、山の仲間に手紙を書いた…「みんなで出て来て助けてくれ。」。
宮沢賢治「オツベルと象」なども直接的な欝展開ではないものの、終わり方にうっすらシュールな闇を滲ませています。
結末にある「おや、(一字不明)、川へはいっちゃいけないったら」
いったい誰が、誰に向かって言った言葉なのだろうか? (一字不明)はどんな言葉だったのだろうか。
これは授業のみならず、読者・ファンの間でも論議されている問題。この文章が何を意味しているのか?元の原稿で紛失されている不明の一文字は何なのか?多くの解釈が挙げられているが真相は不明。

白象や沙羅双樹が登場することから、インド – 東南アジアを舞台とした物語ということがわかる。強欲なオツベルは、白象の善意を踏みにじって殺されてしまうが、白象は喜ばない。研究者の続橋達雄は、白象が「さびしく笑」ったのは、「オツベルの冷酷さを改心させられなかったことへの悲しみであろう」という見解を述べている。
今西祐行『一つの花』
一つの花とは、1975年に発表された作品である。著者は今西祐行。小学四年生用の国語の教科書に掲載されている物語の一つ。
一つの花は、今西祐行の児童文学作品。
出征する父と、それを見送る幼い娘、母とのやり取りを通し、戦争の悲惨さを訴える。
昭和50年(1975)刊行。
ゆみ子の口癖は「一つだけ、一つだけちょうだい」だった。
体が弱いお父さん「ゆみ。さぁ、一つだけあげよう。一つだけのお花、大事にするんだよ。」
コスモスの花を受け取ったゆみ子。それがお父さんとの最後のやり取りだった。お父さんは汽車に乗り込み、そして帰ってくる事は無かった。
内容は大東亜戦争中の厳しい耐乏生活を描いたもので、短編ながらも切ない話となっている。当時、筆者は授業中に思わず泣きそうになったが(自分語り)、子供よりも大人の琴線に触れるようで、教師が涙をこらえていたという報告もちらほら。
新美南吉『ごんぎつね』
『ごん狐』(ごんぎつね)は、新美南吉作の児童文学。南吉の代表作で、彼が18歳の時に執筆した。初出は『赤い鳥』1932年1月号。作者の死の直後、1943年9月30日に刊行された童話集『花のき村と盗人たち』(帝国教育会出版部)に収録された。
子狐の「ごん」は、村へ出てきては悪戯ばかりして人を困らせています。ある日ごんは、村人の「兵十」が川で魚を捕っているのを見て、悪戯で採った魚を逃がしてしまいます。それから十日ほど後、兵十の母親が死んだことを知ったごんは、後悔するのですが。。。すれ違ってしまう心を描いた作品。
「ごん、おまえ(おまい)だったのか。いつも、栗をくれたのは。」と問いかける兵十に、ごんは目を閉じたままうなずく。兵十の手から火縄銃が落ち、筒口から青い煙が出ているところで物語が終わる。
『ヒロシマのうた』
『ヒロシマのうた』は、今西祐行の小説。昭和45年(1970)刊行。原爆投下直後の広島に、学徒兵として赴任した体験をもとにした作品。
広島に原爆が落とされた日。私は、亡くなったお母さんのうでの中で泣く、赤ちゃんを助けました。道ゆく人にあずけたのですが、戦争が終わった数年後、その子と再会することになり…。
葉山 嘉樹「セメント樽の中の手紙」
「セメント樽の中の手紙」(文芸戦線 1926.1)は、プロレタリア文学の作家である葉山 嘉樹(はやま よしき)による作品。
ダム建設労働者の松戸与三が、セメント樽の中から発見した手紙には、ある凄惨な事件の顛末が書かれていた。伝説的な衝撃の作品。ワーキングプア文学の原点がここにある。
ダム建設現場で働く男がセメント樽の中から見つけたのは、セメント会社で働いているという女工からの手紙だった。そこに書かれていた悲痛な叫びとは…。
骨も、肉も、魂も、粉々になりました。私の恋人の一切はセメントになってしまいました。残ったものはこの仕事着のボロ許ばかりです。私は恋人を入れる袋を縫っています。私の恋人はセメントになりました。私はその次の日、この手紙を書いて此樽の中へ、そうと仕舞い込みました。あなたは労働者ですか、あなたが労働者だったら、私を可哀相かわいそうだと思って、お返事下さい。
葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」
中島敦の短編小説「山月記」
「山月記」(さんげつき)は、中島敦の短編小説である。1942年2月、『文學界』に「古譚」の名で「文字禍」と共に発表され、中島のデビュー作となった。唐代、詩人となる望みに敗れて虎になってしまった男・李徴(りちょう)が、自分の数奇な運命を友人の袁傪(えんさん)に語るという変身譚であり、清朝の説話集『唐人説薈』中の「人虎伝」(李景亮の作とされる)が素材になっている。
人食い虎は彼の旧友、李徴の成れの果てであった。彼曰く、自身が抱えていた「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」により、遂に浅ましき人食い虎に成り果ててしまったのだという。
プライドが高すぎて、他者に傷つけられることをおそれた「臆病な自尊心」があった。そして、恥をかかないように横柄にふるまった「尊大な羞恥心」があった。俺の場合、この「尊大な羞恥心」がおさえきれず、みずからをトラにしたのだ。
モンゴルの民話『スーホの白い馬』
『スーホの白い馬』は、モンゴルの民話。モンゴルの伝統楽器モリンホール(馬頭琴)の由来にまつわる物語。「スーホーの白い馬」とも呼ばれる。
日本では、大塚勇三が1967年に中国語のテキストから採話し、赤羽末吉の絵とともに福音館書店から絵本として出版した。その後、ほぼ同時期に光村図書出版の小学校2年生の国語教科書に採録された。
斎藤隆介「ベロ出しチョンマ」
トラウマ絵本の定番と言えば斎藤隆介の「ベロ出しチョンマ」。一部地域の国語の教科書に採用されていたようです。
母親は「わかっております」とこれに従った。ひとりずつ、磔にされてゆく。まずは母親が槍で刺されて死んだ。次は自分たちの番だった。妹のウメが怖がって泣きだす。妹を安心させたい一心で、自分も怖いけれど、長松は必死に眉を八の字にして、ベロっと舌を出して、妹を笑わせようとする。そしてその表情のまま、槍をからだに突き刺されて処刑される。
魯迅の代表作『故郷』
「故郷」は、魯迅の代表作ともいえる短編小説のひとつ。1921年5月『新青年』に発表され、のちに魯迅の最初の作品集である『吶喊』(1923年)に収録された。作品に描かれた主人公の生家の没落、故郷からの退去は、魯迅本人の経験がもととなっている。当時の社会に残存する封建的な身分慣習に対する悲痛な慨嘆が込められている作品である。
日本では、中学3年用国語教科書の5社すべてに採用されており、親しまれている。
主人公は、少年時代に仲良く遊んでいた小作人の息子・閏土(ルントウ)との再会を楽しみにしていたが、再会した閏土との口から出た言葉は、地主階級と小作人という悲しい身分の壁を否応無く突きつけるものであった。
子だくさん、凶作、重い税金、兵隊、匪賊、役人、地主、みんなよってたかってかれをいじめて、デクノボーみたいな人間にしてしまったのだ。
森鴎外「高瀬舟」
『高瀬舟』(たかせぶね)は、森鴎外の短編小説である。1916年(大正5年)1月、「中央公論」に発表された。江戸時代の随筆集「翁草」(神沢杜口著)の中の「流人の話」(巻百十七「雑話」:神澤貞幹編・池辺義象校訂(1905-6年刊)『校訂翁草第十二』所収)をもとにして書かれた。財産の多少と欲望の関係、および安楽死の是非をテーマとしている。
京都の罪人を遠島に送るために高瀬川を下る舟に、弟を殺した喜助という男が乗せられた。護送役の同心である羽田庄兵衛は、喜助がいかにも晴れやかな顔をしている事を不審に思い、訳を尋ねる。弟殺しの罪で島流しにされてゆく男とそれを護送する同心との会話から安楽死の問題をみつめた。
病気に苦しむ弟の自殺を手助けした兄は、果たして「人殺し」と呼べるのか。
夏目漱石『こころ』
『こゝろ』(新仮名: こころ)は、夏目漱石の長編小説。漱石の代表作の一つ。1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで、『朝日新聞』で「心 先生の遺書」として連載され、同年9月に岩波書店より漱石自身の装丁で刊行された。なお、自費出版という形式ではあるが、この作品が岩波書店にとって出版社として発刊した最初の小説である。
「先生」は、親友を裏切って恋人を妻にしたために、親友を自殺に至らしめてしまったという過去を持つ。先生は長年の罪悪感に苦しみ、ついには「私」宛に遺書を残して自殺してしまう。
時代の流れに従って、資本主義的な考え方に支配されることを拒んだ先生は、「明治の精神」のあとを追って自ら命を絶ってしまったのです。
芥川龍之介の短編小説『トロッコ』
『トロツコ』は、芥川龍之介の短編小説。『大観』(実業之日本社)1922年(大正11年)3月号に発表された。新仮名では「トロッコ」と表記する。幼い少年が大人の世界を垣間見る体験を綴った物語で、一部の中学校の教科書などにも採用されている。
物語が終わりに近づくと、良平はいつの間にか遥か遠くまで来てしまい、二人の土工に帰ることを促がされ、来た道を戻るのだが、帰り道は行きと違って孤独で、良平はそれに耐えながらも家に帰り、家に着いた途端号泣する。
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